荒木村重の妻だしは、『今楊貴妃』と言われるほどの絶世の美女だったと言われています。

大河ドラマ軍師官兵衛では桐谷美玲さんが演じられています。

しかし、このだしは荒木村重が織田信長に背いた事により、哀れな末路を辿り、村重自身も十字架を背負いながら生きることを選びます。

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荒木村重が信長に背き有岡城の戦いが起こりますが、村重は総構え(城下町を取り込んだ城郭)の有岡城と巧みな用兵で織田軍を苦しめます。

村重は毛利や本願寺と同盟を結ぶと共に、有岡城の周囲に砦を築いていたので織田軍も力攻めでは有岡城を落とすことはできません。

そして荒木村重は織田信長から摂津を任されるだけあって、戦も上手く織田軍が奇襲を受けて攻め込まれる場面もありました。

しかし毛利からの援軍が無く、戦況を不利と見たのか、ある時、村重は夜陰に乗じて有岡城を抜け出します。

向かった先は嫡男が護る尼崎城。

これは、逃亡とも、毛利氏に直接援軍を頼むためとも言われていますが、はっきりとしたことは分かっていません。

有岡城に残された妻子

村重のいなくなった有岡城は織田軍の総攻撃を受けて降伏開城し、妻子は囚われの身となります。

信長は尼崎城と花隈城を明け渡すなら家臣と妻子の命は助けるという条件を出し、家臣が村重の元までこの条件を伝えに行きますが、村重はこの要求を突っぱね、家臣や妻子を見捨ててしまいます。

これに激怒した信長は、荒木家の家臣や妻子を磔にして銃殺したり、生きたまま農家に押し込め、火を放って焼き殺したりしました。その数は500名以上に上ります。

そして、だしは荒木一族や重臣と共に、京都市中を引き回された後、六条河原で斬首されました。

村重が信長の開城要求を蹴った理由は分かりませんが、結果的に一族を見捨てたことに変わりはなく、戦国の世とはいえ、荒木一族や家臣団はとても哀れな末路を辿ることになります。

この時、だしはどんな事を思っていたのでしょうか?

その後の村重

その後、村重は毛利氏に亡命し、信長が本能寺の変でなくなってからは、堺に住み、茶人として頭角を現します。

その時は、家族や家臣を救えなかった自責の念からか、名前を荒木道糞【どうふん(道ばたのフン)】とします。

しかし、信長の後を継ぎ、天下人となった豊臣秀吉が道糞ではあんまりだと、荒木道薫(どうくん)と改めさせたと言われています。

そして、天正14年(1586年)52歳で亡くなります。

荒木村重は、自分の実力で戦国の世を駆け上がり、摂津一国を有し、絶世の美女だしを妻とするなど、とてもいい人生を歩んでいる時期もありましたが、織田信長を裏切ってから人生が一転してしまいます。

この信長を裏切るかどうかの決断が大きな分岐点になりましたね。